サメット島のニコニコドライバー君で思ったこと
サメット島のソンテウのニコニコドライバー君で思ったこと。
ニコニコドライバー君の話というのは…
サメット島で1000バーツの「ソンテウ島半周ツアー」に申し込んだ僕と娘。ソンテウという乗り合いタクシー(トラック)を貸し切ったツアーだ。周ったビーチもキレイだったし、楽しい出会いもあったけど、それよりも印象に残っているのがそのドライバー君。終始ニコニコと、とても感じの良い青年でした。これぞ微笑みの国タイの人や!とも思ったくらい。
まぁ、考えてみたら、普通にタクシー代わりのお客さんを乗せてても、一日300バーツにもならないかもしれないのに、1時間半で1000バーツ!そりゃニコニコになるわな。
サメット島は観光地なので、食べ物も雑貨も少しお値段は高めだけど、バンコク市内なら100バーツあれば一日暮らせる。彼が一人暮らしなら10日過ごせる。彼女がいたり子どもがいるかもしれないけど、とりあえず1000バーツあれば、2、3日は確実に仕事しなくていい!実際、この翌日、彼の「44」のソンテウを見ることはなかった。「43」も「45」も走ってたけど「44」は見かけなかった
…という話。
「もっと働いたら、もっと稼げるのに」と思うのは日本的なのかもしれない。僕は、働かなくても過ごせるなら、自分や家族との時間を優先するのもアリで、素敵な働き方だと思う。頑張って頑張って仕事に精出して、貯めて貯めて、お金が貯まった頃には、家族がバラバラというのでは、なんのために働いたのか?と。
それでも、
金があれば、出会いがある!…のか?
金があれば人生開ける!…ですかね?
もちろん、お金は無いよりは、あった方が良い。でも、それだけではないと思うんですよね。
タイの貧富の格差はものすごい。日本の比ではない。金持ちは日本の金持ちよりも金持ちと聞く。貧乏の方は、バンコクの街中の物乞いの数を見れば一目瞭然。ガッリガリに細い子どもたちもいるし、ひと目で分かるスラム街もある。生命や健康が脅かされるほどの貧困は別として、「ぼちぼち食べていけるのであれば、ガツガツ働かなくてエエやん」という考え方に、僕は肯定的だ。絶対的な貧困を知らないから、こんなノホホンとボケたことを言えるのかもしれないけど、「なんのために働くのか?」を忘れて働いた結果、残ったのは金だけで、その間の時間がゴッソリ自分の人生から抜け落ちているという生き方が、果たして豊かなのか?と思う。
高校時代の友人で、ジャカルタの工場に現地人をリクルートする仕事をしているヤツがいた(今は別の会社に勤務)。彼は、田舎の農村を回って「ウチの工場で働いてみませんか?」と声を掛けるのだが、「ドリアンの木が2本あれば、その実を売って必要なものは買える。あとは野山や海で採れるものがあるから十分。時間はたっぷりある。それなのになんで工場で働くのか理由がわからない」と言われたと。彼もどちらかというと、野生児の部類で野山を駆け回りキャンプに釣りに…という人間だ。「どっちが豊かなんか?ホンマに考えてしもたわ」と。
タイは働きたいヤツはめちゃくちゃに働けるらしい。初任給こそ安いけど、昇給率が日本よりも格段に良くて、やればやるほど給料はもらえる。昼寝を優先したいヤツも、ある程度仕事をすれば、なんとか暮らせるらしい。実際、屋台で食事していれば食費は安く住むし、交通費も安い。通信費も安い。ネットで仕事を探して、バスやバイタクに乗って仕事場まで行ければ、あとは一所懸命働くだけだ。寒くないから、ある程度の雨風をしのげれば家はなんとかなる。服も暑いからたくさんは必要ない。こうなると、「ま、今日はいいっか」で昼寝して過ごせてしまう。
社会福祉研究をしている時に、「北欧の社会福祉制度では…」という話はよく出てきた。北の国は、行けばわかるけど、あの寒さで路上生活をしたら一晩で死ぬ。8月の夕方でも相当冷える。衣食住の最低必要量が、南の国とは全然違う。そりゃ、なんかあった時の保障を「社会で」取り組む必要性を感じるだろう。でも、南の国は生活最低必要量が少ない。すると制度としての保障の必要性は薄くなる…という話をすると、分科会に参加している人たちから、総スカンを食らったことがありました。
そういえば、社会保障制度論が好きな人に、地理的な要素を持ち出すと、本当に嫌がられたなぁ。「そういう話とは違う」とは言われるけど、実際に見て接すると、幸せへの道筋には、本当にいろいろあるのだと実感する。北の国と南の国でも、その方法は違う気がする。
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