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松山へ行ってきた

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  「松山へ行ってきた」というタイトルなのに、ガステーブルの画像とはいったいどういうこと?ですが、この目的で松山へ行ってきました。 …というのは、就職して東京へと旅立った娘ですが、東京での研修が終わると、赴任地の松山へ移動。それに合わせて、ゴールデンウィーク(以下、GW)の旅費ハイシーズンに僕も移動。目的は、娘の生活始動支援。「生活始動」と入力しようとすると、「生活指導」になる入力ソフト。そりゃそうだろう…と思いながらも、「指導」とは違うのだよ。「今どきの暮らしが始まるプロセス」も体験しておきたいという魂胆で松山へ出かけてきました。 今回は、その往路と復路について。 講演での航空機利用の場合、たいてい大阪伊丹空港からのフライト。で、そこまではたいてい京都駅からの空港連絡バス。でも、今回は時間の都合で京阪→大阪モノレール→空港という経路。枚方市駅と香里園駅と門真市駅で乗り換えて、やっと大阪モノレール。面倒といえば面倒なんだけど、いろいろ乗れて楽しいと発想を切り替えて頑張る。 大阪モノレールは、今のところ、門真市が始発駅(南進する計画があるらしい)。時間帯に寄るけど、たいていは好きな場所に座れます。一番うしろの広報展望が望める席へ。ここと一番前だけが、進行方向に対して平行に座れます。残りは、ロングシート。 小さな窓が側面にあって、そこからこれを眺めて楽しむ。これが門真市から乗った前半のお楽しみのピーク。次は太陽の塔。そして、千里中央駅過ぎの大阪平野のパノラマくらい(ただし、この座席からは見えにくい、進行方向左手)。 大阪空港駅に到着。 搭乗の機体が DHC-8-Q400 ということなので、小さめのザックも手荷物に預けることに。「そういえば…」この自動手荷物預け機を使うのは初めてになりました。こういうのは、仕事異動じゃない時に、いろいろ試しておきたいので好都合。画面で示される通りにすれば、スムーズに手配される…はず、が、荷物タグを貼る向きと荷物の向きによって、バーコードが読み取れないことがあり、2度やり直し。3度目に向こうに行ってくれました。 続いてのドキドキコーナーが、空港の保安検査場の通過。なんせ交通事故後、初の航空機の利用。身体のアッチコッチに金属が入っている状態なので、どう反応するのかの確認もあり、ドキドキ。 結論から言うと、僕の体内に入っている金属は、大...

とうとうこの日が来た(パート2)

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ガランとした娘が過ごした部屋。 ほんの数時間前までは、 搬出を待つ荷物の山になっていましたが、 搬出はアート引越センターによって、30分くらいですみやかに運び出されました。 受験時代は、こんな感じで勉強していた場所ですが、今や、本人も参考書や問題集もなくなり、スッキリしてしまいました。 東京に行く直前までは、このような感じに賑やかでした。留学中に出会った人達とやり取りしたカード類や写真や、絵葉書類などが壁面に貼られていました。 そして、今はこんな感じになりました。リビングに置いてあった座卓が部屋に入り、 リビングはだいぶん広い空間になりました。こうなると、スマートトレーナーに置かれたロードバイクが目立ちますなぁ。今のところ、数日に一回、とくに雨の日にウォーキングできない時に、リハビリで乗っています。 子育ての終了を実感しています。 生まれてきたところのスタートから、就職して家を出ていく飛び立つところまで…に及ばず、空の巣の片付けまで経験できて、本当によかったです。去年だったら、僕は入院中だったので経験できませんでした。 もともと「体質的に子どもが生まれにくい」と言われていた僕だったので、生まれたこと自体うれしかったですが、ここまで、なんとか育てることができて「よぉ巣立ってくれた」という気持ちです。和子さんはじめ、自分の周りの人達のお陰です。自分一人ではここまで無理でした。 さて、ここからは子どもなしの旅路です。 和子さんの定年退職までは、まだ時間があるし、その先の予定は、予想はするものの具体的には何も決まっていません。 思いもよらない未来が待っているかもしれないし、ここまでも、予想以上に(交通事故も含めて)いろいろ経験できました。 この調子でいくと、またまた予想以上の出来事に遭遇しそうですが、期待も込めて楽しみです。 悪運は交通事故で使い切ったと思うので、きっと良いことが待っているでしょう。

とうとうこの日が来た!

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  明日からの社会人生活のために、娘が東京へ旅立ちました。4月中は研修で東京に滞在。5月からは松山で働くことに。 2001年8月から24年と7か月とチョイを一緒に過ごしました。途中、大学へ通うために一人暮らしをしたり、留学に出たりして、一緒に暮らしていない期間も含めているので、実際はもっと短いかもしれない。 見送って家に帰ると、進学や留学の時とは違う家の中の静かさ。そして、近所で買い物に出掛けると、思い出の桜や商店街を通ると、懐かしさがジワジワ。あ〜もう、一緒に歩くことはあっても、一緒に暮らすことはないんだな…と実感。 娘は、ここから人生という大海原へ飛び立ちました。ずっと、子育てとは、飛行機を離陸させたり、船を出航させる作業のようなものだと捉えていました。出発までに燃料を入れて、目的地を確認し、途中の天気を予想し、ルートを見定め、不測の事態に備える訓練をして、緊急着陸や停泊した先で情報を確保したり、食料や水を積み込んだり…最初に出発した空港や港からでは、どうしようもないことを、寄った先で融通していけるように育てる。それが子育てだと感じています。子どもの目的地の到着は、ほとんど見届けることはできないし、そもそもどこが目的地かもわからない。こちらから連絡しようにも、あの世からでは声も届かないだろうし、あとは自分の判断で航行してもらうしかない。 伝えられるだけ全部伝えることができたか?と自問したら、自信はないけど、とりあえず人と対話ができて、仲良くできる、優しい人間に育てることはできたと思う。よく、こんな「普通」じゃない親から、まともに育ってくれたと思う。保育園や学校、地域、バイト先など、周囲の皆さんのおかげ。僕だけでは無理だったのは間違いない。 一緒に暮らした24年間は、僕の人生の宝物だと今思います。 他には代えられない経験でした。 子どもが旅立って、こんなに感無量になるとは…です。 最後に、娘の好きな歌の歌詞を、僕の今の気持ちとして残しておきます。 「コンパス・オブ・ユア・ハート」 青い空高く帆を上げて 水平線の彼方を目指せ 夢のように光きらめく 宝物が君を待つ (気をつけろシンドバット!  この先は危険だ  忘れるな!いかなる時も  心のコンパスに従うのだ!) 荒波が船をゆさぶり 嵐が行く手はばんでも 恐れず進めば友達が 手を差し伸べてくれるさ 風に吹かれ...

鳥取県倉吉市まで日帰り旅行しました

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  鳥取県主催の講演( この仕事 )で、倉吉まで往復しました。京都駅で、鳥取旅行のお馴染み「スーパーはくと」を待っていると、顔の真ん中になんかある。近づいてくると、それが「 スーパーはくとコナン号 」のヘッドマークだとわかりました。 日本のアニメは、海外でも人気。とくにアジア圏から日本に来る、若者のかなりの割合はアニメを見て日本に来たくなった人たち。娘の友だちもアニメやゲーム好きが一定層いて、聖地巡礼をやってます。 この仕事の日程が決まったのは、随分前の10月下旬。「まだまだ先の話」と油断していて、一ヶ月前の座席指定券の発売日もすっかり忘れていて、気が付いたのが講演数日前。 あわてて、近所のJR稲荷駅のみどりの発券機で購入しようとしたら、すでに普通席はほぼ満席。空席があっても、通路側や窓側は埋まっている状態。「かくなるうえは…」と緑の席を確認したら、まだ空席あり。「スーパーはくと」のグリーン席は1人掛け列と2人掛け列があって、1人掛け列にも空席ありでした。差額は痛いけど、致し方ない。 というわけで、グリーン車の一人掛け席で、始発の京都から終点の倉吉まで、3時間39分を極楽で過ごす…はずでしたが、僕の後ろに座ったお婆さん。京都駅を出発するや、いきなり!ざる蕎麦。ズルズルズル〜っと音を立てて豪快に食べてはりました。最初は鼻水をススッてるのかと思いました。それが何度も何度も。ん?と思って少し後ろを見たら、ちょうど桂川駅で貨物線が東海道線をまたぐ高架で窓に後ろの光景が映り出され「蕎麦!?」と判明。 それが終わったら、ゴホゴホと咳。蕎麦でむせたのかナンダカ、ゴホゴホ。さいわい、数年前に大流行して、今も患者が一定数いるあの感染症のような咳ではなかったものの、タバコを吸いすぎて気管を痛めている人のような咳で耳障り。咳が収まったかと思うと、今度はネット動画からの音が聞こえてくる。イヤフォンしなさいよ!ホンマに〜列車内ではカンベンして欲しいわ。京都から尼崎くらいまでの間に、いろいろヤラカシてくれるお婆さんでした。「次は何をやってくれるのか?」と思っていたら、大阪や三ノ宮から乗客がわんさか乗ってきて、それ以降は静かでした。僕より一足先に郡家駅で降りていかはりました。 鳥取県での仕事は今回が8回目で、その8回とも「スーパーはくと」を使っているので、時間感覚もすっかり身に付いている...