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10月, 2023の投稿を表示しています

家庭科授業のサポート

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学校運営協議会の理事長を務めている関連で(なのか?)保護者や地域の人の学校運営にもちょくちょく声がかかります。 先日は、家庭科授業のサポートで声がかかりました。6年生の家庭科でミシンを使う授業でした。先生一人で40名弱の児童を、しかも2つの教室でみるのは難しいので、サポート要請がありました。 ミシンは全部で14台くらい。そのうちの5台は調子がイマイチ。残りをやりくりしながらの、手提げかばん作り。とはいえ、持ち手はすでに本体にくっついた状態で、それを折って、両脇を縫うだけ。 だけ…とはいえ、ここまでがなかなかタイヘン。ミシンに糸をセットしたり、まち針を刺したり、やっとミシン!と思ったら、順番待ちがあったり。そんな待ち時間に、手提げかばんに付ける柄を考えてもらうなど、いろいろ仕掛けを用意しての授業。いやはや先生は準備も授業も片付けもタイヘンですわ。 子ども達の様子を見ていたら、男子女子関係なく、サッサーとやってしまう子もいれば、モッタリモッタリしてなんにも進まない子もいます。友達の進捗状況ばっかり気になってしまう子もいれば、我関せずのマイペース君にマイペースさんも。異常にコミュニケーション力の高い子もいれば、大人の男性に警戒心アリアリという子も。校区内の公立小学校ということもあって、ご近所さんの子もいたり、友達の子がいたりと、繋がりもあるので「あ、あそこの家?」「そやねん」という話もありました。 自分が通った学校や勤務した会社やバイト先のご縁もありますが、期せずして子どもが通った学校のPTAやおやじの会を通して、地域とのご縁もいただきました。近所をウロウロすれば、誰ぞかれぞの知った人に会います。これは、人によってはわずらわしく感じる人もいるかもしれません。とはいえ、こんな僕も神戸のマンションでは、馴染みの顔が誰もいない生活です。それはそれで快適でもあるけど、やっぱり僕にはなんだか味気ない生活にも感じますし、なんかあった時のサバイブにはいささか不安を感じます。 地域の話とは別に、小学校で気づいたのは、設備や機材の中にはだいぶん古くなっている物が数多くあることです。なんとか教育予算を確保して、子ども達の学ぶ機会に活用して欲しいと願います。子ども達だけでなく、いろんな人の学びの場に活用できると良いと思います。  

自転車でアッチコッチへ

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自転車を購入後、元気よくあっちこっち走りに出かけています。とくにここ数日は、天気もよく、秋晴れの毎日。「ちょっと軽く」のつもりが気が付くと20kmくらい走ってしまっていて、そこからエンヤコラと漕いで帰ることも。 まだ「輪行」といって、自転車をバラして、袋に入れて電車に乗せる技術がないので、行った分は漕いで帰らないといけないわけです。行きが追い風の場合なんて、スイスイ行ってしまうわけですが、帰りの分を考えておかないと、行ったきりになってしまいます。 この日は、まさに「ちょっと軽く」のつもりが枚方大橋まで走ってしまい、「せっかくだから」と淀川を渡って高槻経由で帰ったのですが、初めての道を走るので勝手も分からず、心身ともに疲れて帰りました。 この日は、2回目の木津川市往復。木津川の自転車道の起点まで走り、その近くのごはん屋でランチを食べて帰ると、往復72kmになるのですが、1回目は計測のGPS時計を、休憩時に一時停止して、そのまま6km走ったところで、一時停止解除を忘れていたことに気付くという痛恨のミス。 2回目も同じことをしてしまい、今度は2kmのミス。しかも、一時停止をしたのは、両方とも同じ場所。終盤の疲れを感じ始めた頃のミス。一時停止解除くらいのミスで済んでよかったとも言えますが、なんとも「トホホ」な経験です。 この日は、京都の奥座敷、大原の寂光院まで。三千院へはランニングで行ったこともあり、コースはある程度わかっていたので、気持ちも楽。上りはランニングよりもキツイかもしれないけど、下りは断然楽。下りの楽のために上っているのかも…でした。もっとも、大原の上りよりも厳しいのが、縦断する京都市内の道路の混雑事情でした。自転車を車両として道路を走らせたいのか?それとも歩道も走っていいのか?などなどメチャクチャです。 一方、こちらはほぼ全区間自転車道の嵐山往復。自動車道を走るよりは楽なんですが、草ボウボウの間をすり抜けて走る区間もあり、手や足が切り傷であっちこっちからウッスラ流血するというコースでした。ちょうど、あっちこっちで草刈りが行われていて、もうすぐしたら走りやすくて見通しもよくなるはず。 ランニングであっちこっち走っていたのに比べると、見える風景はすっ飛ばしになりますが、それ以上に楽に遠くまで行ける楽しさがあります。 念のための、自転車保険にもガッチリ加入しておりま

小学校の運動会

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10月3日は校区の公立小学校の運動会へ。なにしろ学校運営協議会の理事長を仰せつかっている身なので来賓扱い。体育振興会の会長さんや、社会福祉協議会の会長さんと横並び。まいどまいど、どこへ行っても似たようなメンバーと並ぶわけです。 保護者の皆さんが立ちっぱなしで我が子を見ているのに、テントの下で涼しく参観。その代わりと言っちゃなんですが、自分で自分に、よく見て改善点や課題を学校運営に活かすという宿題を課しました。 一年生は少し前まで保育園や幼稚園の園児さん。3月生まれの一年生と4月生まれの六年生では、ものすごい差です。大きな子も小さな子も、運動のできる子も、できそうにない子も、精一杯走ったり踊ったり、体を動かしていました。 残念ながら、コロナ前のフルセット運動会ではなく、午前中だけのハーフ運動会。娘がいた頃は、3色に分かれた学年縦割りチーム対抗戦の様式でしたが、それもなし。そういえば、万国旗も出てなかったです。 それでも、3年生以下(あれ?4年生以下かな?)ははじめての運動会。他の学年の子が走っているところなど、なかなか見る機会はなかったと思います。応援団も出てきたり、アナウンスも子ども達で代わる代わる担当していました。 そういえば、アナウンスをしていた6年生の子は、僕がPTAで会報委員長をしていた時の委員さんの下の子でした。当時は、幼稚園に入園する前だったと思いますが、もう6年生?!でした。僕は顔を見てもわからなかったのですが、帽子の横にあった名前を見て「え?!」と気が付きました。で、後ろをみると、元委員のお母さん。その子も僕に気が付き「あ!山田さん!」と。大人の顔はそんなに変わらないので、気づいてもらえますね。 アナウンス担当も近かったし、救護担当も近くて、何人かは転んで擦りむいたりして傷の手当に来ていましたが、大きな怪我をする子もなく、数日前に滋賀県で行われた運動会のように、熱中症で倒れる子どももいなくてよかったです。 平日の午前中という時間でしたが、保護者は多数参観していました。保護者の中に、ファンサうちわというか、推しうちわというかを持って我が子を応援している人がいました。時代が時代ならウチの和子はんもやりそうです。卒業式の袴姿も最初は一人か二人だったのが、ある時から一気に…と聞きます。来年あたりはファンサうちわだらけになるかも? 気になったのは、ぽっちゃり君

母校のコンサートへ

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  10月1日、母校の名称がなくなって、新しくなった大学の吹奏楽部のOBOG会設立記念演奏会に行ってきました。 僕の母校は大阪市立大学なのですが、大阪府立大学との府市統合があり、大阪公立大学になったので、それぞれの吹奏楽部のOBOG会も合併することになりました。 実は、僕が大阪市立大学のコンサートバンド(吹奏楽部)に在籍したのは、学生生活の最初の半年くらい。大阪市大のコンバンといえばマーチングというくらい、それを目当てに入ってくる人もいるらしいのですが、僕にはどうも動きながら吹くというのが性に合わず、退部のキッカケになりました。それ以上に、ロックバンド活動に力を入れていたので、さすがに両立するのが難しくなったというのもあります。退部はしたものの、その後もコンサートの照明や舞台設定や進行など、裏方として関わっていたので、同期や先輩達とのつながりは残っていたし、後輩たちからは「(楽器を演奏しない)謎の先輩」と認識されていたようです。 コンサートの会場は クレオ大阪中央ホール 。天満橋駅で京阪から大阪メトロ谷町線に乗り換え。GoogleMap先生によると、谷町線の一番うしろの車両が改札に近くて良いらしい。で、乗り込んだら、ちょうど席が一つ空いていたので、そこへ。腰椎の具合が悪くて、10分以上立ち続けると足が痺れてくるので、座ることができて「やれやれ〜」と一安心。 ホッとして気が付いた。左方向からものすごい視線を感じる。かなり見ている。なに?だれ?と恐る恐る左を見ると、一人飛ばした左の女性は、同じコンサートに向かう大学の後輩でした。事前に、SNSで「向かってます」という投稿を見ていたのですが、まさか同じ地下鉄の同じ車両の同じシートになるとは思わず「おおおお!」でした。さらに、すぐ左隣りの人も後輩でこちらは僕に気が付かず。しかも僕も気が付かず。お二人とも、僕の講演を見に来てくれた事があり、それ以来の再会でした。 久しぶりの吹奏楽コンサート。OBOGバンドということで、限られた練習時間の中で、あそこまでまとめるのはタイヘンだったと思います。個人的には「ゴジラ組曲」が良かったと思います。 ここで僕の吹奏楽遍歴をご紹介。 中学時代は、ガッチガチのスパルタ吹奏楽部だったし、2,3年時の顧問は僕と同じトロンボーン奏者だったので、おかげで基礎はガッチリ備わりました。が、あんまり楽しかった