クウェー川鉄橋とタムクラセー桟道橋へ(タイ乗り鉄旅その2)
カンチャナブリに着いて、その日は翌日のエラワン滝行きのバスの確認と晩ご飯で一日が終わり。翌日、滝から帰ってきて、クウェー川鉄橋の鑑賞。カンチャナブリの町は、上の画像の向こう側。
行ったり来たりは、橋を歩いて渡る。昔は手すりもなくて危険だったらしいが、今は歩きやすくなっていて、途中で休憩する場所もある。
渡ったところにあるのが旧クウェー川橋駅。
タムクラセー桟道橋は、あっち側。タイの鉄道は一般的に、高規格の枕木だったり線路周りだったりするんだけど、この辺りだけ線路が埋もれてた。
一枚目とは反対側の川岸に降りて、ここで下り列車を待つことに。
近くには、連合軍の兵員輸送車が残っていたり。そこで遊ぶフランスの男児2人。実は、午前中のエラワン滝でも彼ら一家と一緒になり、次男がなんやかんやとフランス語で話しかけてきてたんで、知ってる限りのフランス語で相手してたら、ここでも会うとは!でした。
彼らは、遊ぶだけ遊んだら、橋を渡ってバイバイ。橋の上からもズッとなんやかんやと話しかけてくれる次男。長男は慎重、次男は怖いもの知らず、というのは、ある程度世界共通なんじゃないかと思う。
そして、一日3便くらいしか通らない路線の列車をボーッと待つ。
そして、16:26カンチャナブリ発の下りが
キターーー!
思いっきり逆光。しかも超低速運行。手持ちで撮ってると、いくらiPhoneが軽くてもプルプルしてくる。我慢できず、列車と一緒に動いてしもた。でも、一つ撮れて大満足。
ここで、再びタイ国鉄時刻表の登場。見ると、17:33カンチャナブリ着の列車がある。これも狙う。一度、橋を渡ってクウェー川左岸の北側へ。こっちは屋台や店がたくさんある。
タイに来て、スイカシェイクにハマった。スイカがこんなに美味しいとは!スイカをシェイクやスムージーで飲むという発想がなかったし、スイカがこんなに甘くて美味しいとは!でした。今、日本に帰ってきてなにが寂しいって、スイカシェイクが飲めないこと。もっと飲んどきゃよかった!
スイカシェイク片手に、橋の説明を読んだりしながら、時間を過ごしていたら、
上り列車もきた!
こっちの方が少し動きが速い。機関車の顔もよく見える。でも、人もいっぱい。
橋の上には、観光客もいっぱいだけど、物乞いさんもいたり、川の魚や亀を売ってる人も。普通の街角のように人がいるんだけど、トイレに行きたくなったらどうするんかな?と気になる。
上下便とも撮影できて大満足。あとは、明日、タムクラセー桟道橋への列車の窓から、クウェー川橋を撮るだけや!
さっき、橋を渡ってきた列車。ここで停車。
その停車場近くで、大股っ広げて寝てる犬。思わず股間に目がいく。ここの通気性を上げると、暑さもマシなんかな?タイの犬は全般にデカイ。この犬は比較的小さい方。
晩ご飯は、宿泊先のカンチャナブリシティーホテルから、歩いて数分のデカいレストラン。
今回の滞在で、初めてのビール!
ではないけど、落ち着いて飲むのは久しぶりな気がするビール。
ではないけど、落ち着いて飲むのは久しぶりな気がするビール。
旅行中はあんまり酒を飲まない。酔う余裕がないというのが一番の理由。もちろん、海外でベロベロに酔ったこともあるし(ヘルシンキでやらかしました)、みんなでワイワイ飲む酒の席もキライじゃないけど、「ちゃんとホテルに帰らないと!」という気持ちが勝って酔わない…というか酔えない。ベロベロに酔った時は、居候先の現地友人が一緒だったという気楽さもあったんだろうね。
翌日、タムクラセー桟道橋へ出発。現地で過ごした後は、一気にバンコクへ戻る。けっこうな鉄道旅の一日。
僕は、10:44クウェー川駅発で行き、タムクラセー桟道橋を13:36に出る列車を選択。
あのタムクラセー桟道橋を走る列車を、この構図で撮るのなら(画像はここから)、この時刻表通りなら、クウェー川駅を6:15発に出る列車で先に行って3時間半待つ選択肢しかない。さすがに、そこまでの根性はない。
この構図は、クウェー川の対岸から望遠レンズで撮ってる画像だと思う。対岸へ渡る時間がないので、これまた断念。というわけで、クウェー川鉄橋駅から乗る時の座席選択を間違うと、崖側になってしまうので、来た列車に真っ先に乗って、進行方向左側の席を確保する。それには早く駅に行かねば!とはいえ、出発は10:44。なにかしないと時間がもたない。
そこで第二次世界大戦博物館へ。タイらしい展示で、陳列の時代がごちゃごちゃ。「なんで、この時代にコレやねん!」「エエイ!整理させてくれ!」と言いたくなるような、ツッコミどころ満載の博物館。でも、そんなこんなも含めて、ここで亡くなった多くの人のコトも考えさせられる展示でした。
メインの鉄の橋ができるまでの、資材運搬用の木製橋が一部、残されていました。どっちが本物のクウェー川橋か?で議論している人もいますが、そんなのどっちでも良いと思います。Wikipediaに詳しく書かれていました(ここ)。
実は、映画「戦場にかける橋」を観ていません。あらすじは知っていますが、映画に出てきた橋のイメージとは違うらしいです。「クワイ河マーチ」はイヤというほど聞いています。あの歌を歌ってる観光客がぼちぼちいました実際は、捕虜として働いた人以外に、現地で徴用された人たちが桁違いに大勢亡くなっているようです。
で、外を見ると、
クエェー川橋の全景が見渡せるでないの。ここはいい位置。でも、手前のレストランの屋根が邪魔。望遠レンズで狙うしかないかな?
まだ時間はあるし、ちょっと早いけど、駅まで行って列車を待つかな?と昨日来た川のあっち側の駅舎へ。すでに10時過ぎ。日差しは強い。暑いわぁと日影を探すと土手下の土産物屋しかない。「こっちおいで」というおばちゃんもいるし、ジュースでも買って日陰で待たせてもらおうかと降りる。
その土産物屋はアクセサリーを売っている店だった。ブレスレットもネックレスも指輪も、基本しないので、あんまり興味ない。でも、なにか惹かれる石たちで、その中でも「地元のカンチャナブリの石」というブレスレットが気になり着けてみる。まあまあな感じ。お値段は?100バーツ(400円)。あ、じゃぁ買います。
「で、あんた、あそこでなにしてたの?」
「10:44の列車待ってました」
「えええ!それは川のあっちの駅よ!こっちは使われてないの!」
というわけで、またまた向こうへ渡り直しです。
手前の赤いシャツのおじさんは、日本人女性5人組を連れたタイ人ガイドさん。サービス満点で、カメラマンしたり宝くじの買い方を説明したり。
で、来た列車に飛び乗る。なぜか、この硬座車両に通される。先ほどの赤シャツおじさん達は、座席を探してウロウロ。そんななか、Mr.赤シャツは「あなたはここに居た方がいい」と言う。それが、この先の観光ポイントのことなのか?それとも、この先の混み具合を予想してか?は謎だったけど、結果的には、このままでよかった。
クウェー川鉄橋を、今度は列車に乗って渡る。ゆっくりゆっくり。手を振ってくれるのって、嬉しいもんですね。自分も振るようになりました。
周囲の乗客の会話も聞こえてきます。
動画でも聞こえたように、僕のまわりは韓国語。若くてデカイ兄ちゃんが20人くらいの高齢者たちを引き連れていた。みんなクウェー川駅から乗り込んでいた。お菓子や水を配るタイ人の若者達が甲斐甲斐しくツアー客のケアをしている。
そうこうしているうちに、車内検札。「タムクラセー桟道橋まで」というとJRの車掌さんがもってるような端末でチケッを発券。「100バーツね」。バンコクからカンチャナブリも100バーツ。距離は関係ないんかい!
列車はのどかな田園風景を疾走。
やがて赤茶けた大地へと。そして向こうには東南アジアっぽい山の姿が近づいてきた。
そして、THAKILEN駅に到着。
この駅から、大量の欧米系客が乗り込んできて、一気に長編成の列車は満席に。どうやら、他の車両は、この大量のツアー客用だったらしい。その車両には入り切らない客が、僕の周りにも押し寄せてくる。しかも僕の周りはみんな大柄でデカイ。「うう、何人?」と思っていたら、向こうも話しかけてきた。
が、なにを言ってるのかが判別できない。フランス語じゃないな、ドイツ語か?でもすこし滑らかさがあるような…こうなったら、Google翻訳のマイク入力で自動判別や!「ここに喋って!」というと「OK」と。で、出てきたのが、
Сколько людей?
(どこの国の人ですか?)
今、世界的ニュースで話題のロシア語やん!
というわけで、僕は、第2次世界大戦中、スターリングラードに取り残されたドイツ軍のごとく、ロシア人に完全に包囲されていました。僕の向かいのお二人は夫婦で、ウラジオストク近郊から(正確には聞き出せなかった)。隣の白シャツさんは、コストロマの近くのヴォルガ川流域のモロデジュニという町から。そのまま南にいくとヴォルゴグラード(昔のスターリングラード)!そんな町、この人と出会わなきゃ、一生知らないままだった。向こうの白シャツは彼の息子で、こいつがまた、旧ソ連で長く書記長をしたレオニード・ブレジネフ書記長にそっくり。あの顔はロシアの顔なんですな。「日本のどこに住んでるんだ?」「仕事は?」などなど、お互いの興味の向くまま会話して、タムクラセー桟道駅に着くと「友よ!次はロシアに来てくれ」とガッチリ握手してお別れ。そこにウォッカがあれば、飲んでいたかもしれない。
そういえば、タイにはロシア人がたくさん来ていた。今、ロシア人が外国へ旅行しようとしても、行き先がなかなか無いらしい。そんなロシアに扉を開いているのがタイ。ロシア人はタイ一択で流れ込んできているようだ。ルーブルから外貨への両替レートが高騰しているこのご時世、海外旅行ができるロシア人は、そうとう金を持ってる人たちなはず。で、そんなロシア人相手に、これまた稼ぎまくるタイの皆さん。エエ加減、だらしない、怠け者、ルーズなど、いろいろ言われるけど、ここ一発の身の振り方がキレッキレなのがタイの人のような気もしてます。
僕はロシア人といっても、みんながウクライナ戦争に賛成しているわけではないと思っているし、実際、選挙制度が機能していない国で、全員がプーチンの政治を支持しているわけでないと思っています(これは中国でも、北朝鮮でも同じ)。ただし、表向きにそれを表明できないから言わないだけだと。目の前にモロデジュニの兄さんがいることを考えても、「ウクライナ戦線がプーチンに駆り出された一部のロシア人のやっていること」だろうと(巻き込まれたウクライナ市民が気の毒でなりません)。
とはいえ、「ロシア人」と伝えると国際社会の風当たりが強いのも事実かも。同じロシア人でも、なんやかんやと話したがるモロデジュニ兄さんと違って、向かいの極東人夫婦はあんまり僕と話ししたがりませんでした。それで、本当の出身町も聞き出せなかったんです。
個人と個人の繫がりに政治を持ち出すのは、僕は野暮だと思っています。そもそも、僕は政治というマッチョシステム自体からは距離を置きたい、どちらかというとアナーキスト。個として繋がれる人と繫がり、親交を深める。普段はお互いに干渉せず、でも近くに行った時は顔を出し、困った時は助け合う。それが理想だ。仮にも、政治統治機能が上手く機能するというのであれば、それは個の自由な繫がりを阻害しないことが大前提。だから、ロシア人だからといって身構えることはないし、そもそも殴り合いになって勝てるとも思ってないからやらないし。こちらが身構えると向こうも身構える。野生動物と一緒だ。
いろいろ語ったけど、このロシア人グループの後、マクデブルクからきたドイツ人グループと話をすることになり、とっさに「レオパルドⅡ!」と思ったのも事実。僕もいろいろ流されてます。
列車はタムクラセー桟道橋駅に到着。列車は、さらに先のナムトック駅を目指して出発。その姿を撮ろうと構えていたら、目の前に韓国人ツアー客が割り込んで来るでないの!とっさに、その前に移動して撮影。どう見てもツアーの人達は鉄っちゃんではなさそうなので、僕が割り込んでも問題なしでしょう。
機関車+客車8両という、けっこう長い編成だったんですね。


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