どうする?ノートやメモ類

 

この春、いろいろ区切りを付けたくて、これまでのノートやメモを整理中。大学院博士課程時代から今までの思考や考察の記録。

右上の京大カードから始まり、カバーの購入が追いつかなくなって、止めるだけに移り、新聞連載が始まった頃に左上のリングノートへ。徐々に記者さん達と同じコクヨA4ノートに移って今も継続中だけど、メインはiPadのGoodNotesへ。

GoodNotesの良い所は、手書き文字がデジタルで検索できること。僕のかなりのクセ字でも判読してくれる。キーワードで関連メモをソートできるのはデジタルが便利。ただし、床にバーッと広げて見渡して組み合わせたり、入れ替えたりする作業は京大カードのアナログが便利。

なんとかしないと!と思いながらも捨てられないノート類。とはいえ、あの頃の自分に戻って考えたり書き直したりできない非再現性があるものなので、捨てない方が良いと判断しています。僕はモノの整理は、この非再現性をキーワードにしてます。買い直して再現できるなら、捨てても全然問題なし。新しいものの方が良いのならなおさら。

改めて、古い記録を眺めていると、僕は経営学が好きなんだな…と思います。大阪市立大へは受験科目の関係で商学部(経営学部)に入ったけど、あそこで基本を学べたのは大きかった。

大学院では社会福祉学研究科に在籍しながら、高齢者福祉や障害者福祉、生活困窮者などの主流研究ではなく、僕はズッと福祉現場で働く人のES(従業者満足)や生活との両立に関心が向いていたし、ワーク・ライフ・バランスという言葉が日本で広まる前に、カナダの文献で見つけて、「これか!」と思いながら、でも「なにか足りない」と気になり、悶々としていた記録がここに残っていました。

いろいろ回り道をしてきたけど、今やっていることに全部つながっているし、無駄ではなかったと思います。博士号は博士論文が出せなかったので取得してませんが、在籍した間に思ったり、考えたことは、かなり血となり肉となったと思います。良くも悪くも放任放置な大学院だったので、ノルマがほぼ無く時間がたっぷりあったので、いろんなことに関心を広げられたし深堀りできたし、とても良い贅沢な時間でした。

とはいえ、ノートやメモ。関心のない人には、ただの紙ゴミ。持っているだけでは何も生み出さない。連載記事の切り抜きも結構な量がある。あれもなんとかしないと。

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