すべての国は途上国

(ここ数日、考えたことを徒然なるままに…)

発展途上国という言葉は、先進国と対比で使われる。これとは別に、僕は衰退途上国という対比も考えている。タイは東南アジアの中では、すでに高齢化が始まっているらしく、発展の勢いも落ちてきていると聞く。それでも、まだまだ発展の余地は残っていて、発展途上という言葉が当てはまるという印象だ。

日本も東京圏にはまだまだ人が集まってきている。発展途上な街のイメージだが、その反対に地方の衰退っぷりはものすごい勢いだ。シャッター商店街、限界集落、廃校、路線廃止などなど。マイナス要素に対して、「なんとかしないと」と踏ん張っているその地方の人や自治体職員もいるが、チャオプラヤー川のような大きく流れの早い川の流れのなか、上流に向かって手漕ぎボートで争っているようにも見える。

僕は、その大きな流れの背景に、高度経済成長期を知る、今の高齢者たちの「何もしない方が良い」「流れに乗っていればいいのだ」という空気を感じてならない。積極的に自分から変革を求めなくても、周囲の景気がよかったから、放っておいても賃金は上がったり、物質的にも豊かになった世代だ。もちろん戦後の欠乏時代を乗り越える努力(忍耐)はあったと思うが...。

自分からなにかを仕掛けずとも、景気の良い時代に引っ張り上げてもらえる潮流にのれば良かった時代(高度経済成長期)がこの日本にもあった。が、それはもう半世紀以上も前の過去の話だ。それにも関わらず、今でも「何もしない方が良い」「流れに乗っていればいい」は生きている。

それどころか、今は「何もしない」だけでなく、為末大さんがいうような「なにかあったらどうするんだ?症候群」にも陥っている。

この「なにかあったらどうする」は衰退途上国であるなら当然の成り行きだ。発展途上であれば、なにかあっても取り返せる。しかし、衰退途上であれば、なにかあったらもう取り返せない(気がする)。貧者は変化を遠ざけようとする。今あるわずかな財産を変化というリスクで失うくらいなら、少ないながらも確実に手元にある財産を守ろうとする。革命は、最貧者ではなく、新しい社会でも生き抜ける「持つ者」によって行われる。「持たざる者」は変化を求めない。衰退途上だと変化を求めず保守化するのは当然。

もともと「何もしない方が良い」という空気が支配的だったところに、さらに「なにかあったらどうするんだ」が覆いかぶさり、もはや誰かが「なんとかせねば」という気持ちをもっても、どう動き出していいかわからないし、動き始めようとしても制止する上の世代。

とはいえ、WBCを見てもサッカーのW杯などのスポーツを見てもそうだし、文化や芸術、研究その他の領域でも、日本の若者は世界を相手に十分渡り合っている。彼らの活躍は、次に続く子ども達の見本にもなる。もちろん、そんな若者は一部のエリート達かもしれない。でも、「何もしない方が良い」という時代に、ここまで世界と渡り合える若者でチームを構成できただろうか?あの時代では成し得なかったことを、今の若者はやり遂げていく。そして、まだまだ他の領域からもヒーローは誕生するだろう。上の世代は、「何もしない方が良い」や「なにかあったらどうする」で彼らの足を引っ張らないようにせねば。

僕ら世代は、大人達から「君の将来のために」「将来を見越して」という言葉を聞いて育ったが、当時聞かされた「将来」は、今の状態をイメージしていただろうか?昭和時代の「将来」は、きっとそれまでの過去がこの先も続くくらいの位置づけだったはずだ。「将来」なんて、まったくアテにならない。それくらい変化の大きな世界になっている。にもかかわらず「何もしないほうが良い」という空気は変わらず存在している。

社会を衰退途上から発展途上へ転換させることは、規模も大きくとても難しいだろう。でも、個々の人は赤ちゃんからはじまり、日々成長という名の発展をしていく。若者はその成長という人の発達の真っ只中だが、そんな彼らを衰退途上の地方は受け入れられなくなっている。それを感じるから、若者は東京へ流れていくのではないだろうか。

若者でなくても、個人の発展はいつからでも始められる。新しい料理に挑戦する、新しい家電に買い換えてみる、新しいデジタルツールを使ってみるなど、衰退途上から発展途上へ向かうのは、個人レベルならわりと簡単だ。「知らないものを使わない」「食べたことのないものは食べない」「知らない人とは関わらない」は「何もしない方がよい」の生活面での具体例だ。社会が変わらないことを批判しながら、私生活レベルでは変化を拒んでいることはよくある。

一番危惧するのは、衰退途上志向の親が発展途上である子どもの可能性を奪うことだ。今どきの子どもは夢を持たないのは、「何もしないほうが良い」「なにかあったらどうするんだ」という大人世代の衰退途上志向の反映だろう。自分の衰退期を悟るのは良いが、それは自分の範疇に留めておくべきだ。

(思いつくまま、ツラツラと)

コメント

このブログの人気の投稿

新しい教頭先生は、昔のご近所さんだった

今週はあっち行ったりこっち行ったり

おやじの会、一区切り