地域の先輩を見送りました

今月21日金曜日の早朝、藤世孝さんが亡くなりました。22日のお通夜に参列して見送ってきました。

彼は生まれも育ちも地元。桃山小→桃山中→桃山高という生粋の地元民。そして仕事も区内竹田のファミレス「フレンドリー」(ここは僕らが以前住んでいた家の近所)に勤め、親の稼業を継いでからももちろん地元。地域の仕事をいくつも掛け持ちして民生委員も勤めていました(たぶん)。とにかく地元で顔が広く「ミスター桃山」的な存在でした。

ウチの和子さんとは高校時代の同級生。どうやら3年間同じクラスだったらしいけど、和子さんの記憶は今ひとつ。

娘が小学6年生のときに、僕はPTAで会報委員長をしていて、その関係で学校行事によく出入りしていたのを、藤世さんにチェックされて(目を付けられて?)、PTAの任期が終わりお役御免になったとほぼ同時に、「おやじの会」に誘われました。それから数期が流れ、2019〜2022年まで、僕がおやじの会の会長をすることに。年数会の地域イベントだけではなく、普段買い物にいくCOOPでもよく会い、なんやかんやと話をする間柄になりました。

2021年の秋、電話がかかってきて「オレな、ステージ4の大腸ガンやねん」で余命も僅かであることを告げられました。地域のなかでも、近しい人だけに知らせたようです。

それから一年半と少し。大半がコロナ禍という制約にも関わらず、残りの時間を楽しく愉快に過ごすべく、時間を作っては近しい人たちで集まり、ワイワイ騒いだり、ちょっと遠出したり、オモシロオカシク過ごしたのでした。

最初に宣告された余命ははるかに超えてはいたものの、今月中旬、肝不全になり急遽入院。その翌日にお見舞いに行くと、下ネタを放つくらい意外とフツーに元気だったので、安心したのも束の間、あっという間に最期を迎えたのでした。

春以降、彼は精力的に終活に励んでいて、ほぼほぼ完了というところまでこぎつけていました。最期までアッパレな幕引きでした。

これまで、少なくない人の最期を見送ってきましたが、ここまでよく知る身近な人を見送ったのは、もしかすると初めてかもしれません。

そんな近しい人を見送るダメージたるや…を今回知りました。年をとると、こういうのが数年に一回、年に数回やってくるのでしょうか?高齢社会が元気なくなるのも無理ないです。同時に、若い知り合いを作ることが大切だと実感しました。失った分、新しい関係を築かないと無縁人間になってしまいそうです。

PTAではじめて、公立小学校という地域によるつながりをもち、その後の「おやじの会」で子どもの学年と関係ないつながりを得て、今風にいう「地域の居場所を得た」感じでした。今年は町内会長もしているし、小学校の学校運営協議会の会長も仰せつかっています。子どもが生まれるまでは、せいぜい町内会費を払って、回覧板を回す程度だった地域とのご縁でしたが、藤世さんのご縁で、いろいろ回ってくるようになりました。

面倒くさがりで怠け者の僕を、地域社会に引っ張り出してくれて、本当に感謝しています。ありがとうございました。


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