茨城県高萩市へ

茨城県高萩市へ講演ででかけました(この講演)。高萩市へというのに、いきなり水戸市駅前の黄門様の像画像ですが…

鹿児島ツアーから帰ってきて、一日インターバルを置いて、今度は東へ。快晴の富士川鉄橋から望む富士山。年末の新幹線ということで、ほぼ満席。僕が京都駅から乗り込んだら、同じく京都駅から乗り込んだD列の客が、さっそく弁当を開いて食べ始めていました。E席の僕は、彼に食事を中断してもらうことに。真っ先に乗り込んだとみえて、よっぽど腹が減っていたのかもしれませんが、隣が空席の場合は、出発してしばらくの間、様子を見たほうが良いと思うんですけどね。「食べてるところ悪いねぇ」と言ったものの、内心「こやつ、アホちゃうか?」と思ってしまいました。あるいは、新幹線に初めて乗った若者だったのかも。

品川駅で「ひたち」に乗り換え。もう慣れたけど、最初は、品川駅で常磐線に乗り換えるというのに違和感ありまくりでした。常磐線といえば上野駅でしょう!でも、品川駅で乗り換える方が断然便利です。なんなら東京駅で乗り換えるよりもスムーズだと思います。

列車は、ぐんぐん北上。上野駅の次は水戸駅まで止まらない快速っぷり。西日本に住んでいると、この時間はまだ明るいのに…という時刻に、すでに夕焼けになるせわしなさ。「あれ?もう真っ暗?」と、なんだか気持ちが焦ってしまいます。これが東日本の時間間隔なんでしょうね。

残念ながら、この時間、高萩駅に止まる「ひたち」はなく、日立駅でいわき駅行きの普通に乗り換え。いわき駅行き…あぁ、もうちょっとで福島県。福島県は一回しか行ったことないんですよね。

高萩駅に到着。担当さんが待ってくれているので、ササッと「来たぞ!」記念。これまで、常磐線は、常陸太田市での講演の帰りに送ってもらった、大甕駅が最も遠くの駅でしたが、それを少し更新しました。

担当さんとは10月のオンライン打ち合わせで顔合わせをしていたので、「お久しぶりです」で再会できました。小ぢんまりした可愛い駅舎。

駅前はクリスマスイルミネーション。子どもが家を出てしまうと、あんまり実感する機会のないクリスマス。公共の場にこういったものがあると、「あぁ、年末なんだなぁ」とクリスマスを通り越して、もはや大晦日あたりに飛んでいってしまいます。

講演自体は、年末大掃除を中心にしたセミナーで、楽しい時間でした。講演後がスムーズすぎて、意外と早くに高萩に戻ってきてしまいました。

ちょっと時間があったので、高萩駅を端から端まで歩きました。昔は、大規模な駅だったんでしょうね。今は10両編成のひたちが入線しますが、それでも余るくらいのホーム長です。駅の敷地も広大。上は福島県側のホーム端から駅中心部を撮影。

高萩駅ホームのこっちは東京側。左右の空間は広々。

そんな暇人タイムを過ごしていたら、やってきました品川行きの「ひたち」。さすがに空席が目立っていましたが、大甕駅、東海駅、勝田駅と止まる度に、けっこうな数の人が乗り込んできて、僕が降りる水戸駅では、降りた僕に変わって沢山の人が乗り込んでいました。
水戸駅で、「何年ぶり?」という旧知の友達と合流して、夜21時半過ぎから一献。宮下銀座商店街という昭和臭プンプンの商店街の「餃子とビールとハイボール 金魚」で、看板通りのメニューとおでんの飲み会でした。久しぶりに会ったのに、なんとなく近況も知ってるし、「あれ、どうなったん?」と話ができるのは、SNSのおかげでもあるな…と。

翌朝は天気予報では一日中曇天ということでしたが、朝焼けを見ることができました。夕方は早いけど、逆に朝も早い!西日本だとまだ暗い時間に朝日が昇ります。日本は広いね。

水戸で宿泊したのは、「水戸三の丸ホテル」でした。2021年8月にリニューアルされたばかりのようで、何もかもキレイ!新しい!かっこいい!地下の大浴場がとくに良かったです。お風呂に入る暗証番号キーを忘れて、部屋に取りに帰るというおマヌケをやってしまいましたが、広々お風呂を貸切で入れました(4日前のさんふらわあの朝風呂以来の貸切風呂)。

せっかく日の出とともに早起きしたので(それほど早くもなかったけど)水戸駅出発までに1時間半ほどあったので、散歩することに。「水戸学の道」を半分回ろうとホテルを出ると、すぐに線路。「これはもしや…」と思っていたところに、列車が通過。以前常陸太田市へ行くときに乗った水郡線ではないの!

あっちこっちに、この看板があるので、地図を持たなくても道はわかるという親切案内。

もともと城が建っていた場所なので、いたるところに門があります。

そして、城跡の敷地内にたくさんの学校が建っています。学校の門もそれっぽい。

ここにも門。

そして大手門。これぞ大手門っぽい。京都の家の近所の神社の門(「の」だらけ)に、「この神社の門は、かつて伏見城の大手門だった門を移築したものです」という看板が建っています。京都高低差崖会崖長の「ブラタモリ」でお馴染みの梅林秀行さんが言うには、「アレはただの武家屋敷の門!」とのこと。こうやって、徳川御三家の城の大手門を見ると、いかにもアレはショボいですね。

鹿児島で西郷さんの銅像に「また鹿児島に来たいです」とお願いをすると、本当に鹿児島からの仕事の依頼が来たので、ここはひとつ水戸黄門様にもお願いしてみました。解説によると、助さん格さんのもとになる人は実在したらしく、お二人共、黄門様が編纂する「大日本史」の編集を担当する学者だったようです。3人揃って諸国漫遊は実際にはなかったかもしれませんが、実際の3人が揃った時の歴オタ話はディープだったでしょうね。

最初に素通りしてしまった、黄門様生誕の地に再度立ち寄り、「水戸学の道」の右半分(光圀ルート)を締めました。

水戸駅でも端っこまで行く。この先は上野駅。

反対側の福島県側へ歩いていると、JR車両ではないディーゼルカー。鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の車両でした。何の垣根もなく、JR水戸駅に停車していました。こちらはアクアワールド・大洗のラッピング車両。

先頭は、鹿島臨海鉄道デフォルト色の車両。しばらくすると、ディーゼルエンジン全開で出発していきました。

水戸駅からは「ひたち」。これまた上野駅までノンストップ。一度乗り込むと、しばら~く誰も動かない。この感覚は、昔々の阪急京都線の十三~大宮ノンストップ特急や、京阪本線の京橋~七条ノンストップ特急のような感覚です。

東京駅では、乗り継ぎ時間をゆっくり取り、駅弁ではない弁当をエキュートで購入。以前はずっと駅弁だったので、駅弁に飽きた頃、エキュートで買えば飽きないかも!と買い始めた次第。最近は「V PALETTE」がお気に入りです。弁当やお惣菜コーナーの端っこなので、買い物しやすいというのもあります。

京都までの東海道新幹線は、もはや新型と言いにくくなってきたN700S。でも、なかなかゆっくり眺める機会がなかったので、この乗務員ドアの湾曲具合など、エアロダイナミクス処理バシバシな様子を収められてホクホクでした。

かなりの座席の埋まり具合だったにも関わらず、帰りは僕の隣は新横浜を過ぎても空席でした。水戸でゆっくり過ごした分、余裕もって「帰京」となりました。ところで、京都に帰るのは「帰京」だけど、東京でも「帰京」なのかな?そういえば、鹿児島の人が「鹿児島に来る」ことは「来鹿」と言って、これはかなり一般的に使われています。「京都に来る」を表す「来京」という言葉もあるようですが、あんまり聞きません。観光業界の人ならよく使うのかもしれませんが…

はてさて、次に茨城県を訪れるのは、2023年1月の予定ですが、それはずっと南の千葉県銚子市と利根川を挟んだ神栖市。その先は予定がありません。黄門様、どうかよろしくお願いします。




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