地蔵盆からいろいろ雑感

今年度は、町内会長やってます。個人的には、8月の地蔵盆が一番タイヘンなお役目では?と思っています。

「あ〜メンドウやなぁ」「でも、準備しないとなぁ」

と思いながら過ごし、前々日に花屋へ予約。それも閉店ギリギリの時間。なんかの拍子に「そや、花を頼まないと!」と思い出して花屋へ。

こんな調子だったので、歴代会長が作成してくれていた「地蔵盆マニュアル」にも目を通してませんでした。

で、地蔵盆当日。

「あ、お供物を買いに行くの、忘れてた!」

と気付くのでした。

調べると、自転車で5分くらいのスーパーが24時間営業。助かりましたわ。

せっかくのリストなので、参考にして買い出ししました。

地蔵盆のベテランから見ると、なんだか妙な組み合わせなのかもしれませんが、なんとか売っているモノで整えることができました。

町内会は4つの組に分かれていて、それぞれに組長がいるのですが、他の3人の組長さんが頼れる皆さんだったので、本当に助かりました。

地蔵盆に来て下さったお坊さんが、子ども達に配っている景品に見覚えがあったので、「もしかして…」と尋ねると、佛教大学出身の方でした。年齢からすると、もしかして同時期に同じキャンパスにいたかもしれません。

すでに地蔵盆をやめた町内もあるようです。町内会自体が無くなった町もあるようです。ご多分に漏れず、近隣でも人口減少は進んでいますが、もっと田舎な土地に比べると、はるかに緩やかな人口減少。今年度、町内の中学生以下の子どもは9人いるし、近々1人増える予定ですし、まだ絶望的な人口減ではありません。それでも、世帯数の三分の一は、定期的に回ってくるゴミ当番を外しています。高齢者であることや、日中不在が理由です。

ゴミ当番をやらずに済む回収方法なんて、世界を見て回ればいろいろあるのは分かっているはずなのに(海外視察なんて、なんの役に立ってないのでは?)京都市は変わらず町内会という強制ボランディアに押し付けてきます。

現代生活において、ゴミ処理はそれ無しでは成立しない生活インフラ。ところが、あまりに貧弱なインフラゆえ、ちょっとしたことで不具合が起こる。「ゴミ屋敷」の成立は、個人的な責任を追求する向きもあるが、インフラ整備の不備が要因な側面も否めない。日常的なちょっとしたゴミ処理の不具合は、大災害時にはとてつもない問題になっている。逆に、日常のちょっとした不具合を解消することは、もしかすると被災時への問題解決の糸口になるかもしれない。


月に1〜2回の市民新聞の配布も、町内会長と組長の仕事ですが、これもそろそろ業者委託にしてはどうかと思います。電子版ですむ家庭には配達しなくても良いように思います。僕の組にも、郵便ポストがあふれそうな家があります。そんな家に配達しても読んでもらえないだろうし、心理的問題で引こもっている場合のならプレッシャーを与えているかもしれないし…

聞けば、業者配達の市町村もあるようです。印刷業者や配送業者など、利権が絡んで、スパッと整理できないのかもしれませんが、この経費も手間もバカにならないと思うんです。

町内会といえども、人類の歴史と同時にできたわけではなく、近代以降の話だと思います。ということは、なくても暮らせる時代が長きに渡ってあったはず。世界中に、このような組織があるわけでもないはず。「町内会」というモノがなくても、近隣住民が自発的に繋がって豊かに暮らしている町もあるはず。

もうそろそろ昭和的な仕組みは、機能不全に直面するはず。高齢化はどんどん進んでいるし、人口も減ってきているのに、人口が増え続けていた時のやり方のままで良いはずがない。変えないと持続不可能なのに、もう変える力もない…というか、変えたがらない。変えてもちょっとダメなら「ほら見ろ」と元に戻したがる。最初から上手くいくシステムなどないのに。結局「なにも変えないのがベスト」となる。

そして、ある時、パタッと止まってしまうのだろう。

その前に、なんとかしないといけないはずなんですが…。


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