気仙沼へ(その2)

なかなか気仙沼レポートが終わらないのに、次の講演地にでかけて、全然旅行記が追いつかない。

気仙沼の2日目は「気嵐(けあらし)」で始まりました。天気が良く、風が弱くそして水温との温度差が大きいという、気象条件が整わないと見ることができないようですが、ラッキーなことに見ることができました。部屋に朝日が差し込んだので目が覚め、外を見ると「!」でした。
朝ご飯を食べ、温泉に浸かって再び屋上へ。すっかり気嵐はどこかへ。

東北に来れば紅葉が見られるかと思ったけど、ここが一番それっぽく見える場所でした。紅葉よりも先に枯れてきているのでは?というような木もありました。

9時に青少年育成協議会の方3名がお迎えに。そこから震災関連の遺構や記念碑を回るツアーへ。

杉ノ下地区の高台。聞けば、明治の三陸大津波は標高13mの高台に避難して助かったので、そこが指定避難場所になっていた。ところが、東日本大震災の時は、その時の津波をはるかに超える高さ約18mだったため、住民の約3割に当たる93名が犠牲となったようです。

高台からも近い気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館。もとは気仙沼向洋高校の建物。学校の3階に、津波で流れてきた乗用車がそのまま残されています。4階まで浸水したそうです。震災を語る被災者の語りは、胸が張り裂けそうでした。

最後は、気仙沼市復興祈念公園

ホテルの屋上から見えていた、黄色で囲った場所でした。「あそこにも、記念碑的なものがあるな」と気付いていたので、行けてよかった。

講演会場へ移動して、楽屋弁当を食べて出番までの時間。周囲を散歩。

気仙沼中央公民館の前の大川の防潮堤。堤防の中では、子どもたちのサッカー大会。小学生たちだから、震災後に生まれた子どもたちなのかも。あれから13年。もう13年も?でした。

講演は盛況のうちに終わり、ホッと一息。公民館の広いスタジオに主催団体の関係者などが一同に会して歓談。気仙沼を出発するのは18時前。講演が終わったのは16時前。はてさて、これからどう過ごそうか…と思っていたら、
「昨日の『ぴんぽん』今日も行きませんか?」とお誘いを受ける。
「確かに、昨日『また来ます』と言って店を出ましたけど…」
青少年育成協議会の担当さんが、「ぴんぽん」の大将と高校の同級生だそうで、段取りしてくれました。
「開店時間前だけど、開けてもらえるって!」
ラッキー!!

「先生に『もうかの星』を食べてほしくってさ」
という嬉しいお言葉。昨日、それは食べてなかったのです。

お店に行くと…あ、その前に、昨日、売り切れていた紅梅の揚げパン。教育委員会の担当先生が買いに行ってくれました。

講演後、エネルギー切れを起こしていたので、2個をペロッと食べてしまいました。4つくらいならサクッと食べられそうな揚げパンでした。


「もうかの星」は、もうシーズンが終わってしまい、お店では出していないとのことでしたが、そのかわりにマグロの心臓を頂きました。「味はほとんど一緒」ということでしたが、昔、焼肉屋で食べたレバ刺しの食感でした。「マグロの白子」や「ナマコ」も。そして、11月に解禁になったアワビも刺身盛りに盛られていました。

「次は、是非、和子さんと来てね!」
そう見送られて、店からタクシーで気仙沼駅へ。楽しい講演アフターでした。期せずして、2回も「ぴんぽん」に行けたし、なによりも明るい人達に囲まれた時間でした。気仙沼は、あの震災で多くを失ったでしょうし、町を離れた人もいたと思います。でも、新たにやってきた人もいて、その人達を受け入れ再起動したんだと思います。

仕事柄、あちこち出かけています。風光明媚な場所もあれば、大都会にも行きます。観光資源がある町もあれば、企業城下町もあります。いろんな場所に行けども、僕にとって残るのは、その町で出会った人たちの印象。その人達との交流が楽しければいい町になります。いい町には「また来たい」「また行きたい」になります。

気仙沼は、間違いなく「また来たい」「また行きたい」町になりました。



そして、帰りも大船渡線。そして、北上市で宿泊。

北上駅で見つけた車止め。これは北上線の車止め。ここから秋田県横手市を結んでいます。そういえば、横手市も良かったなぁ(この時)。

帰りは、花巻からいわて花巻空港へ。そして一路大阪伊丹空港へ。一つ、今後、いわて花巻空港を使う機会があるなら、忘れないでおきたいこと。それは、保安検査場を通って、待合室に入ると、売店がない!空港のフロアマップには宮澤商店コーヒーショップが載っていますが、営業してませんでした。飲み食いに買い物は、保安検査場を通る前に!です。
保安検査場から先に、トイレと自販機以外になんにもない空港。海外では、バハマのフリーポートやフィンランドのイナリで経験しましたが、国内では初めてかもしれない。これはこれで良い。
気仙沼では、外国人観光客の姿をあまり見ることがありませんでした。帰路に宿泊した北上市も同様。それが、京都駅に帰ってくるとワンサカ!でした。

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