富田林市へ

 

大阪府富田林市での講演で日帰り往復してきました。

京都で暮らしていても、富田林は隣の府の中の市町村だし、それほど遠い場所ではないので、旅行という感覚ではないないですが、僕にとっては少し思い入れのある町でもあるので、ちょっとその辺の町とは違った感覚です。

というのは、楽器メーカーで営業マンとして勤務していた頃、この富田林には取引先の楽器店があり、その担当を僕がしていたので、毎週のように通っていた町でした。

駅の近くにダイエーがあり、その中に新星堂というレコード店がありました。そこは電子ピアノも展示販売していたのでカタログを届けたり、新製品の説明に寄っていました。もう一店舗、三響楽器もありこちらは線路の反対側。電車の場合はテクテク歩いて、営業車の場合は、ダイエーの駐車場から三響楽器の駐車場に移動してました。

で、その途中にある踏切で、これは地元でも有名らしいですが、踏切一旦停止の違反取締をよく行っているのです。僕も一度、営業中に遭遇したことがあります。普段はスーッと通る踏切だったんですが、たまたま前を製薬会社の営業車が走っていました。その車が一旦停止せずにスーッと通ったところで「はい!こっちいらっしゃい!」と呼び込む警察官の姿。もしも、その車がいなかったら、僕が呼ばれてたんだろうな…でした。

その踏切がこちら↓です。この左に警察官が待っていたのでした。

最近では、めったに車を運転しなくなりましたが、サラリーマン時代は毎日営業車に乗って楽器店や問屋を回っていました。「なにわ」「和泉」ナンバーのエリアを走っていたので、ペーパードライバーだった僕は、毎回、割り込まれて「ひぃ〜〜」、割り込んで「すんませ〜ん」でした。

そんな思い出の富田林。会社の営業所は心斎橋だったので、富田林に行くときは、阪神高速14号松原線を使うか、心斎橋→(地下鉄:御堂筋線)→天王寺・あべの橋→(近鉄南大阪線)→古市→(近鉄長野線)→という経路でした。今は京阪沿線に住んでいるので、今回は、天満橋→(地下鉄:谷町線)→天王寺で、そこから懐かしい路線でいくことに。

河内長野行きの準急。これは当時もこれに乗って富田林へ行ってました。当時も3番線だったように思います。そして今回も3番線。

でも、こんなモニターはありませんでした。

昔(約30年前)と変わらない行き先表示。もしかしたら、車両もあんまり変わってないかも。
富田林駅に到着。藤井寺駅から道明寺駅にかけて、クネクネと曲がりながら、古墳群を縫うように走る区間がおもしろいんです。

講演は無事に終了。

で、帰り道です。往路をそのまま帰るのも良いのですが、せっかくなので、営業マン時代の帰りに三国ヶ丘や堺東の店にも寄るコースを再現。

往路は、天満橋から紫の谷町線に乗って、天王寺から近鉄南大阪線で富田林まで。帰りは、富田林からさらに南下して河内長野まで行き、そこから深緑の南海高野線で難波まで。難波から赤い御堂筋線で淀屋橋まで行き、黄緑の淀屋橋始発の京阪特急で帰るコース。

富田林駅の地下スロープをくぐって河内長野方面行きのホームへ。このスロープは昔から変わっていないような気がします。

南海高野線の河内長野駅。河内長野市での講演は何度かしてますが、その場合は往復とも南海高野線になるので、近鉄長野線からの乗り換えは、約30年ぶりの久しぶり。
河内長野駅の改札前は、いろいろ店があって得意先へのお土産(おやつ)を買ったりするのに好都合でした。
堺東の得意先に寄る場合は、編成の後ろの方の車両に乗る方が近かったので、こんな先頭車両に乗ることはなかったです。

通勤型の電車でロングシートなので、外はよく見えないし、時間帯もあってか車内は立っている人も多かったので、外の様子はほとんど見えず。昔も今回も急行なので、意外と難波まであっという間に着いてしまいます。

ルート再現は「そのつもり」で行くと意外とできてしまうものですが、「講演のついで」にするには、まずその町から呼ばれないと行けません。今回は、たまたまご縁のあった富田林市での講演だったし、時間にも余裕があったので、再現できました。

実は、富田林にあった得意先は2軒ともすでになくなっていて、そこを尋ねることはできませんでした。30年も経てば、いろいろ変化している部分もあって然りです。あの頃の店のスタッフさんたちは、今元気にしてるんだろうか?


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