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とうとうこの日が来た(パート2)

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ガランとした娘が過ごした部屋。 ほんの数時間前までは、 搬出を待つ荷物の山になっていましたが、 搬出はアート引越センターによって、30分くらいですみやかに運び出されました。 受験時代は、こんな感じで勉強していた場所ですが、今や、本人も参考書や問題集もなくなり、スッキリしてしまいました。 東京に行く直前までは、このような感じに賑やかでした。留学中に出会った人達とやり取りしたカード類や写真や、絵葉書類などが壁面に貼られていました。 そして、今はこんな感じになりました。リビングに置いてあった座卓が部屋に入り、 リビングはだいぶん広い空間になりました。こうなると、スマートトレーナーに置かれたロードバイクが目立ちますなぁ。今のところ、数日に一回、とくに雨の日にウォーキングできない時に、リハビリで乗っています。 子育ての終了を実感しています。 生まれてきたところのスタートから、就職して家を出ていく飛び立つところまで…に及ばず、空の巣の片付けまで経験できて、本当によかったです。去年だったら、僕は入院中だったので経験できませんでした。 もともと「体質的に子どもが生まれにくい」と言われていた僕だったので、生まれたこと自体うれしかったですが、ここまで、なんとか育てることができて「よぉ巣立ってくれた」という気持ちです。和子さんはじめ、自分の周りの人達のお陰です。自分一人ではここまで無理でした。 さて、ここからは子どもなしの旅路です。 和子さんの定年退職までは、まだ時間があるし、その先の予定は、予想はするものの具体的には何も決まっていません。 思いもよらない未来が待っているかもしれないし、ここまでも、予想以上に(交通事故も含めて)いろいろ経験できました。 この調子でいくと、またまた予想以上の出来事に遭遇しそうですが、期待も込めて楽しみです。 悪運は交通事故で使い切ったと思うので、きっと良いことが待っているでしょう。

とうとうこの日が来た!

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  明日からの社会人生活のために、娘が東京へ旅立ちました。4月中は研修で東京に滞在。5月からは松山で働くことに。 2001年8月から24年と7か月とチョイを一緒に過ごしました。途中、大学へ通うために一人暮らしをしたり、留学に出たりして、一緒に暮らしていない期間も含めているので、実際はもっと短いかもしれない。 見送って家に帰ると、進学や留学の時とは違う家の中の静かさ。そして、近所で買い物に出掛けると、思い出の桜や商店街を通ると、懐かしさがジワジワ。あ〜もう、一緒に歩くことはあっても、一緒に暮らすことはないんだな…と実感。 娘は、ここから人生という大海原へ飛び立ちました。ずっと、子育てとは、飛行機を離陸させたり、船を出航させる作業のようなものだと捉えていました。出発までに燃料を入れて、目的地を確認し、途中の天気を予想し、ルートを見定め、不測の事態に備える訓練をして、緊急着陸や停泊した先で情報を確保したり、食料や水を積み込んだり…最初に出発した空港や港からでは、どうしようもないことを、寄った先で融通していけるように育てる。それが子育てだと感じています。子どもの目的地の到着は、ほとんど見届けることはできないし、そもそもどこが目的地かもわからない。こちらから連絡しようにも、あの世からでは声も届かないだろうし、あとは自分の判断で航行してもらうしかない。 伝えられるだけ全部伝えることができたか?と自問したら、自信はないけど、とりあえず人と対話ができて、仲良くできる、優しい人間に育てることはできたと思う。よく、こんな「普通」じゃない親から、まともに育ってくれたと思う。保育園や学校、地域、バイト先など、周囲の皆さんのおかげ。僕だけでは無理だったのは間違いない。 一緒に暮らした24年間は、僕の人生の宝物だと今思います。 他には代えられない経験でした。 子どもが旅立って、こんなに感無量になるとは…です。 最後に、娘の好きな歌の歌詞を、僕の今の気持ちとして残しておきます。 「コンパス・オブ・ユア・ハート」 青い空高く帆を上げて 水平線の彼方を目指せ 夢のように光きらめく 宝物が君を待つ (気をつけろシンドバット!  この先は危険だ  忘れるな!いかなる時も  心のコンパスに従うのだ!) 荒波が船をゆさぶり 嵐が行く手はばんでも 恐れず進めば友達が 手を差し伸べてくれるさ 風に吹かれ...