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五條市へ

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  奈良県五條市の講演で日帰り往復しました。最寄り駅で待っていたら、乗車予定の特急の一つ前の急行が到着。奈良側4両は新型の「 8A系 」。見たことはあっても、乗ったことはない車両。「こんなことなら、この急行で良かったのに!」と。 次の特急は、ごくありふれた普通の特急。 ただし、この特急は奈良行き。僕は大和西大寺から京都線をまっすぐ突っ切って、橿原神宮前駅に行きたいのです。そういえば、前の急行は橿原神宮前行きだったような…と注意していたら、高の原駅で先行していた急行を追い抜いた!…ということは 大和西大寺駅で再び対面。この車両に乗って、橿原神宮前駅まで移動。 そこから、今度は南大阪線の吉野行きに乗り換え。葛城山へツツジを見に行った時( この時 )も京都から橿原神宮前で南大阪線に乗り換えたので、キョロキョロもなく乗り換え。乗り換え時間は5分。 見慣れた近鉄電車。ただし線路は狭軌。普段、標準軌の近鉄を見慣れているので、なんか狭い平均台の上を走っているみたいに見えて大丈夫かいな?と思える不思議。これがJR車両なら全然違和感ないのに。 で、この電車で吉野口駅まで行き、今度は乗り換え時間4分でJR和歌山線へ。 近鉄→JRの乗り換えという会社をまたいでの乗り換えだけど、吉野口駅にはこの両社をつなぐ改札がなく、普通の乗り換えと同じ感覚でできるんです。 これにタッチするだけ。でも、紙の切符で乗り換えるのはどうやるんだろう?きっと方法があるはずだけど…。 そういえば、和歌山線に乗るのははじめてかもしれない!もちろん、この227系1000番代もはじめて。227系は広島のResWindや岡山県総社市へ行くUraraにも乗っているので、初めてではないけど、この1000番台のロングシートははじめて。 これは帰りの車内で撮ったもの。このタイプはたくさんの人を運ぶには都合がいいのかもしれないけど、長く乗るにはどうも…風景を見るような旅情を楽しむにも今ひとつ。こんな和歌山線のような風光明媚な路線に、東海道線の通勤タイプのような座席にしたのか…本当にナゾ。 五条駅に到着。五條市なのに五条駅。 役所の人が迎えに来てくれていて、そこから車に乗って数分の講演会場へ。でも、その途中でスゴイのを見付けた! まことちゃんのお堂!五條市出身の漫画家で、先日亡くなった楳図かずおさんの代表作「まことちゃん」のお堂。五條

宮津市へ

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天橋立で有名な宮津市へ、講演で行ってきました。   11時の京都駅は、外国からの観光客と国内各地からの観光客でごった返していました。京都の人間はウンザリな人も多いと思うけど、全国あっちこっち行ってると、これすらピンポイントの出来事で、全国的には誰もいない風景が圧倒的に多いと思います。 行きは、城崎温泉行きの特急きのさき5号。全席指定車の全席が満席。僕が乗った2号車は、日本人の中高年で一杯。周囲を完全に包囲されました。そして、京都駅を出るなり、プシュ〜という缶のフタを抜くと同時に炭酸が抜ける音。そしてプハァ〜というあれ。こういう列車は車内販売があると、よぉ売れるやろなぁと思います。キンキンに冷えたみかんも売れば売れたんじゃないか?と思うくらい暖かい日なうえに、車内の暖房。ビールが進んだと思います。 僕の隣に座ったおばちゃんも、ポリポリパリパリとよぉ食べてました。そして、園部あたりからシーンとなったなと思ったら、よぉ寝てました。ポリポリ食べている時に聞いたところによると、城崎温泉&蟹ツアーだそうな。エエなぁ〜。天気も良くて最高やん! 福知山で特急たんごリレー号に乗り換え。JRから京都丹後鉄道への乗り換えって、何度もしていたはずなのに「?」でした。駅前からの京都丹後鉄道への入口とJRからの乗り換え入口は違うのね? そして福知山駅の表示が、これまたややこしい。台湾人と思われる男女カップルが表示を見ながらウロウロウロウロ。聞けば、「天橋立へ行きたいけど、どこへ行けば?」と困っていた。「こっちの列です。行列ができてるけど、慌てなくても乗れるから」というとホッと安心した模様。リレー号は、天橋立行きではなく、その先の網野行きという表示だし、JR山陰線から京都丹後鉄道に乗り入れて天橋立へ行く列車もあるから、そっちにも「天橋立」という表示が出てるわけです。漢字が読めてしまうので、かえって「ん?!こっちにも?!」となったんだと思います。 講演は無事に終わり、講演アフター。さすがに、気仙沼のように一杯飲んでから帰るという時間の余裕もない。講演担当者が大学の後輩(学部は違うけど)でした。大阪市立大学は、歴史は長いけど一学年の学生数が少ないので、なかなか出会えない同窓生にあった嬉しさもあって(きっとお互いに)、担当氏からお土産を頂いたり、カフェでお茶したり、自分が学生の頃はどうだったなど、楽し

気仙沼へ(その2)

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なかなか気仙沼レポートが終わらないのに、次の講演地にでかけて、全然旅行記が追いつかない。 気仙沼の2日目は「気嵐(けあらし)」で始まりました。天気が良く、風が弱くそして水温との温度差が大きいという、気象条件が整わないと見ることができないようですが、ラッキーなことに見ることができました。部屋に朝日が差し込んだので目が覚め、外を見ると「!」でした。 朝ご飯を食べ、温泉に浸かって再び屋上へ。すっかり気嵐はどこかへ。 東北に来れば紅葉が見られるかと思ったけど、ここが一番それっぽく見える場所でした。紅葉よりも先に枯れてきているのでは?というような木もありました。 9時に青少年育成協議会の方3名がお迎えに。そこから震災関連の遺構や記念碑を回るツアーへ。 杉ノ下地区の高台 。聞けば、明治の三陸大津波は標高13mの高台に避難して助かったので、そこが指定避難場所になっていた。ところが、東日本大震災の時は、その時の津波をはるかに超える高さ約18mだったため、住民の約3割に当たる93名が犠牲となったようです。 高台からも近い 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 。もとは気仙沼向洋高校の建物。学校の3階に、津波で流れてきた乗用車がそのまま残されています。4階まで浸水したそうです。震災を語る被災者の語りは、胸が張り裂けそうでした。 最後は、 気仙沼市復興祈念公園 。 ホテルの屋上から見えていた、黄色で囲った場所でした。「あそこにも、記念碑的なものがあるな」と気付いていたので、行けてよかった。 講演会場へ移動して、楽屋弁当を食べて出番までの時間。周囲を散歩。 気仙沼中央公民館の前の大川の防潮堤。堤防の中では、子どもたちのサッカー大会。小学生たちだから、震災後に生まれた子どもたちなのかも。あれから13年。もう13年も?でした。 講演は盛況のうちに終わり、ホッと一息。公民館の広いスタジオに主催団体の関係者などが一同に会して歓談。気仙沼を出発するのは18時前。講演が終わったのは16時前。はてさて、これからどう過ごそうか…と思っていたら、 「昨日の『ぴんぽん』今日も行きませんか?」とお誘いを受ける。 「確かに、昨日『また来ます』と言って店を出ましたけど…」 青少年育成協議会の担当さんが、「ぴんぽん」の大将と高校の同級生だそうで、段取りしてくれました。 「開店時間前だけど、開けてもらえるって!」 ラッキー

気仙沼へ(その1)

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  気仙沼市での講演( 参照 )のために二泊三日で往復してきました。 11月8日金曜日の出発。今期最低気温の7.8℃の朝。目的地の気仙沼は、最低気温2℃、予想最高気温11.5℃。出発地京都の冬の気温。クローゼットから冬物のジャケットを引っ掛けて出発。 大阪伊丹空港は改修でだいぶんスムーズな保安所の通過になったので、空港連絡バスはギリギリでも大丈夫と、その乗り継ぎで移動プランを組んでいたものの、なんとなく予感がして、一つ前の空港連絡バスに乗ることに。 大阪伊丹空港からいわて花巻空港行きは、離陸ラッシュに巻き込まれ、出発が5分遅れに。自動的に到着も5分遅れ。いわて花巻空港内をダッシュして、今度はJR花巻空港駅へのバスを目指す。バス停には「盛岡行き」しかいない。大阪伊丹空港のようにいくつもの行き先バス停があれば、花巻空港駅行きを探しまくっただろうけど、バス停はそこしかない。運転手さんに「花巻空港駅へ行きますか?」と聞くと、「盛岡への途中に寄ります」との答え。確認はして損にはならない。 飛行機が遅れたのをうけてか、僕が座ってからもだいぶん出発を待ってました。バスはほぼ満席に。隣には、伊丹空港で見かけた若い女子学生。 「大阪から乗ってましたね」と尋ねると 「はい」と。 「関西の学生?」 「いえ、鳥取です」 「鳥取かぁ、来週、琴浦町へ仕事で行きますよ」 「あ、近いです。ワタシ米子です」 「おお、鳥取県の西の端」 「そうですそうです」と話は続く。 「で、なんでまた岩手県へ?」 「全国大会があるんです」 「この時期に?なんの?」 「え〜っと、水質を調べて、その数値を競う大会で…」 「あ、じゃぁ顧問の先生とかも一緒に来てるんや」 「前の方に乗ってます。あと、この子(通路の向こうに座った生徒)と一緒です」 「そっかぁ、学校サボれるわけやね?今、高校何年生?」 「3年生です」 「え?今の時期、大学受験とか大丈夫?」 「あ、わたし就職するんです」 「そっかぁ、僕、大学の先生 も やってるけど、大学は仕事してて『もっと知りたいな』『これってどういうことなんやろ?』と思った時に行けばいいと思うよ」 などという話をしていたら、アッという間に花巻空港駅(空港→駅まで7分)。彼女たちは顧問の先生と同流して、次の移動を調べたりしていました。 僕は、昼ご飯のタイミングを逸して、腹ペコ状態。駅前に、コンビ