思い出のバス停
先週の土曜日、ちょっとした用事で四条大宮へ出かけました。阪急の大宮駅は、佛教大学の通信課程在籍時のスクーリングや、その後、大学院に進学してからは通学でしばらく使っていました。
通信課程と大学院の前半は、大阪市住吉区に住んでいたので、あびこ駅から御堂筋線に乗って、梅田→(阪急京都線)→大宮→(京都市バス)→千本北大路で通っていました。ちょうど大学院に入った頃から、阪急京都線の特急が途中の高槻市駅に停車するようになったのでした。それまでは、十三駅から大宮駅まで京阪ノンストップでした。
その京都河原町行き特急の一両目に乗ると、ちょうど大宮駅の改札に近い階段。そこをダッシュであがってバス停に並ぶ、そんなことをしていました。通信課程は10代の学生もいたけど、社会人も多くいたのもあったし、真夏の炎天下でバスを待つのもタイヘンなので、何人かで声を掛け合ってタクシーの相乗りをして大学に向かったりしました。
通信課程を卒業して、修士課程に進学した時(あるいは修士2回生になったときだったか?)東大大学院へ進学した従兄弟から自転車を譲り受けたので、大宮駅の近くのマンションの駐輪場にその自転車を停めて、阪急から自転車に乗り換えて千本通の坂を駆け上がって通っていました。そのマンションの駐輪場から自転車が放り出され、その後、少し離れた壬生の公団住宅(今のUR)の駐輪場に停めさせてもらってました。
その従兄弟から譲り受けた自転車は、大学院の後輩に譲ったような、どこかに行った時に乗って、そのまま忘れてしまったような、それとも和子はん経由で京大に里帰りしたような…今ひとつ記憶がありません。一時期、僕とともに京都の街中を駆け回ったママチャリでした。
そんな佛大学生時代のちょっと前にも、四条大宮のバス停には思い出があります。
僕が大学受験浪人時代のこと。国公立大学志望だったのですが、二浪は避けるべく、私立大学も受験しました。いわゆる滑り止め受験です。学費が安いのと、受験科目が合ったので、立命館大の法学部と経営学部を受験しました。前日、高槻市の祖父母宅に泊まって、高槻市から急行に乗り換えて、大宮まで来て、そこからバスに乗り換える。
これは、その年の夏に、大学の下見で高松から一泊二日で京都大阪の大学見学ツアーに出たままのコース。ちなみに、この夏は、国鉄最後の夏で、翌1987年4月のJR誕生は、僕の大学生生活の始まりと同時でした。
立命館大の受験で、地下の大宮駅から地上のバス停に向かう。そこで僕が見たのは、とんでもない人の数。郷里の高松で見たことない人の数。ほぼ受験生でごった返すバス停。決して広いとは言えない四条大宮後院通りのバス停。車道に溢れ出さんばかりの人。地元の京都人なら、いくらもある迂回路も、全国から集まる受験生は知らないし、四条大宮のバス停に殺到していたのでした。京都駅から来るバスは、すでに満席どころか立ってるのもタイヘンなくらいの混みよう。「こりゃ受験開始時間までに大学に行けないかもしれんな」と冷や汗。
そんな時、後ろからトントンと肩を突かれ、振り返ると受験生…にしてはちょっとお兄さんな男性。
「立命に行くん?タクシー一緒に乗って行けへん?」と声を掛けられました。
「いや、高いですから」と答えると、
「昨日、パチンコで大勝ちしてん。奢ったるわ」と。
答えるや、そこに来たタクシーを捕まえて、
「立命まで!」と乗り慣れた様子。
走り出して…今思えば、壬生の公団住宅の辺りまで来た頃だったか
「いやぁ、間に合わんかと思ったわぁ」とその兄さん
「受験ですか?」と僕
「そやで、君もやろ?」
「はい」
その後、
「京都はタクシーが便利やねん」
と言ったかどうかはうろ覚え。
そんなことより、「受験の前の日にパチンコなんかしてて大丈夫なんかいな?」と思ったもんです。それに、僕は自分の金でタクシーに乗るなんてことをしたことがなかったので、そこも驚き。
そこから先、立命館大学までどんな話をしたのかは、全然覚えてないけど、なんやかんや話した気がします。夏に一度来ているし、なんなら、小学校の修学旅行でも金閣寺は来ていたけど、そんな頃の記憶は全く残っていない、見知らぬ土地でタクシーに便乗して、受験校まで行くというのは、選択肢にまったく入ってなかったルートでした。
そのお兄さんと立命の校門で別れた後、それぞれの受験会場に向かい、その後会うことはありませんでした。その立命館の受験が、法学部だったのか?経営学部だったのか?その日の受験が午前午後の受験だったのか?そういったところは全然覚えていないけど、あのピンチの場で便乗を誘ってくれた、同じ受験生の彼は、その後、どうなったのか?今、どうしているのでしょうか?もしかすると、意外と近くにいるかも…と思ったりします。一期一会でした。
立命館の受験は法学部も経営学部も合格していて、無事に滑り止めになりました。その後、大阪市立大学に合格したので、立命館大へ行くこともなかったのですが、市大に通いはじめて、「ウチの滑り止めは同志社やろ」「立命では差がありすぎるやん」という人が多くて、これまた驚き。今思っても、「あそこ(で受けるべき滑り止め)は同志社やったな」と思います。
受験の前の日にパチンコして、その勢いでタクシーに乗って受験したあのお兄さん。きっとそういう人は、アノ時も合格してたと思います。田舎にいて、「あれダメこれダメ」でガッチガッチに育った僕は、その後、大阪市大でも、受験生時代にパチンコやバイトしながら、ディスコ行ったり、オシャレしながらでも、余裕をもって合格している同期がたくさんいるのを知り、驚いたもんです。大宮のバス停で出会った、パチンコタクシーの彼は、それ系の人と出会った最初だったのでした。
先週土曜日、河原町から大宮まで乗ったのは、懐かしい色合いの阪急電車でした。今は、白い帯の入った車両が増えましたが、特急車の6300系が登場するまではこの色一色でした。
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