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新学期にカルチャーショックを受けた話

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  あちこちで入学式が行われているこの季節。例年以上に早い桜の開花で、入学式までもつのか?と思われていましたが、京都ではギリギリ残っていた感じです。 この季節になるとよく思い出すのが、大学一年の新学期のこと。それはそれはのカルチャーショックでした。 僕は香川県高松市で生まれ育ち、高校3年まで地元の公立高校で過ごしました。一年目の大学入試は、「宝くじ」というくらいの合格予想確率で地元国立大を受験して、あえなく撃沈。高校3年間、真面目に勉強したわけでもなく、かと言って遊びまくったわけでもなく、それなりに楽しいこともあったけど、何かに熱中したわけでもなく、中途半端な目立たない高校生活を過ごしていました。 浪人が決定して、通っていた高校の 補修科 (浪人生クラス)に通い始めて、ようやく受験勉強に本腰を入れ始めた次第。それまでたいしたことをしてなかったので(参考書とか買った記憶がなかったくらい)、やればやるほど成績が上がるというのが楽しくて、やっと手応えを感じるように。で、二回目の受験は、現役時代に「宝くじ」だった地元国立大への合格確率はほぼ毎回「A」判定だったので、浪人受験時から可能になった2校目の受験に、「宝くじ」よりは当たる「商店街のガラガラくじ」くらいの確率で記念受験することに。 その記念受験は、翌年の「赤本」で「近年まれに見る難問奇問」と紹介されるような問題のオンパレード。点差が付きにくかったせいか、僕のような「商店街のガラガラくじ」受験の人間が合格してしまったわけです。とはいえ、この事実は、入学してしばらく経ち、「赤本」の解説を読んで、「そうだったのか!」と納得したことで、入学当初は全く気が付かず。 入学してオリエンテーション期間の中から、悪い予感。田舎の高校に通っていると、服装なんてのは、だいたい二種類。雑誌に載ったような服をそのまんま着ているような、ごく一部のウカレたヤツか、制服と部屋着と寝間着だけで過ごしているようなヤツがたいはん。僕もほぼ後者。それが、大学ではウカレた服の野郎どもが半数以上。しかも、雑誌そのままじゃなくて、自分なりに着こなしてる感がある、ウカレず着ているヤツら。「さすが都会や」とカルチャーショック。そりゃ都会には私服通学の高校もあるくらいだから、着こなすというか、第二の皮膚感覚になっていて当然だわな。 授業が始まると、そのウカレたヤ...

ティファニーのコピー

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2013年というから、今から10年も前の11月22日(いい夫婦の日)にリリースされた ティファニー のコピー。 「ひとりで生きていけるふたりが、    それでも一緒にいるのが夫婦だと思う。」 (眞木準作) 不覚にも最近、このコピーの存在を知った次第。 これと似たような内容を、僕は講演で話ししていて、それが一番上のイラスト。 昭和時代、夫婦は「人」という字のように、お互いが一辺と一辺になり支えあうモデルが理想とされていた。男性は仕事、女性は家事というような、性別による役割分担で支え合うモデル。高度経済成長期は、この形のおかげで男性は長時間労働が可能だったし、PTAや自治会などを女性が担うことで、行政や教育の行き届かないところを補完することができた。 でも、今はそういう時代じゃない。ティファニーのコピーのように「ひとりで生きていける」が前提で、一人一人が「I(アイ)」字型に立つ。そのうえで「この人と一緒にいたい」「一緒だともっと楽しい」という人同士が手をつなぎ合って「M」字型につながる。 という説明をしている。 この「人」字型から「I」字へ。さらに「M」字型につながる話は、どこかで誰かがしてるかもしれないな…とは思っていたけど、ティファニーのコピーに出ていたのを知ったことで、お墨付きをもらえたし、「ほらね!」と言えるようになった気がする。 もちろん、本当は、ひとりで生きていければ良いんだけど、なかなか世の中厳しい、わかっていても実現が難しい時もある。いつも元気だとも限らない。病気の時もあればケガをする時もある。寝たきりになったり介護が必要になる時もある。失業する時だってあるし、景気の悪い時だってある。周りが好景気なのに、自分だけ金の巡りが悪い時だってある。落ち込む時もあるし、しょぼくれる時もある。家事をする気にならない時だってある。 そんな時、もたれかかれる人がいるのは、心強いし頼もしいし、ちょっとホッとできる。「ずっとこのままでも良いかな?」と思う気持ちもわからないことはない。 大事なことは、社会が基本をどう位置づけるか?だ。 「人」を基本にするか?「I」字に立つを基本にするか?これだけ共働きが増えてきていても、未だに自治会やPTAは「人」字型を基本としている。だから、誰も参加しなく(参加できなく)なるのだと思う。 令和に入って5年も経つんだし、そろそろ「I」字型を基...

新しい教頭先生は、昔のご近所さんだった

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  新年度から引き受ける、学校運営協議会の書類を届けに、校区の小学校を訪れて、校長先生と話をしていたら、「あ、来年度からの教頭を紹介しますね」と言われて紹介された教頭先生。 僕の方は、「あ、山田です。よろしくお願いします」と挨拶したものの、教頭先生の方は、なんだか「え〜っと」という表情。 「もしかして…山田さんって、昔、竹田に住んでませんでしたか?」 と聞かれ、 「ええ。駅降りてすぐの団地に住んでましたよ」 「僕です、同じ町内の竹本です」 「え〜っと竹本さん…あ!あのロン毛でピアノ弾いてた?」 「そうですそうです。当時は大学生でした」 いつもTシャツを着ている青年という印象しかなかったので、目の前にいたのに、まったく気が付かず。 あの頃から20年以上経ってるわけですから、そりゃ立派なベテランの先生になっていても不思議じゃないです。 まさか、こんなところで再会するとは。竹田にいたのは短い期間だったけど、町内のイベントにボチボチとでも参加しておいて良かった。

パックの刺身を簡単に盛り付ける方法

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Instagramのリールに「刺身を簡単に皿に盛り付ける方法」をUPしたところ、なかなかの反響をいただき、動画の解説をこちらですることに。 この投稿をInstagramで見る 家事ジャーナリスト 山田亮(@ryoyamada)がシェアした投稿 そもそも、スーパーでパックされた刺身を買ってきて、皿に盛り付け直す必要があるか?です。盛り付け直すどころか、フタを醤油皿にすれば洗い物が減る!という時もあります。パッと食べてパッと片付けて…という時は、皿に盛り付け直すなんてことはしなくて良いと思います。 ただ、「たまには華やいだ気持ちで」「せっかくだから映える皿に盛り付けたい」という時も。そんな時の盛り付け直し方法です。誕生日の料理も、パックのままで出すより、盛り付け直した方が、お祝い感やごちそう感が出せます。 スーパーの刺身は、どこかの工場やスーパーのバックヤードで、従業員のみなさんが、キレイに盛り付けてくれているんです。それを そのまま、皿に盛り付け直したい! という発想から生まれた、ひっくり返してホイ★です。 似たような発想の寿司が岡山県倉敷にあります。「返し寿司」という名で知る人ぞ知る郷土料理です( TVer+でも紹介されていました )。 箸やフライ返しを使って、皿に盛り付け直す「王道」の方法もあります。それでキレイに盛り付けできる人は、このひっくり返してホイ★を使う必要はありません。 でも、その右から左(あるいは左から右)へ移し替える作業、なかなかキレイにできない時もあります。とくに立体的に盛られている場合、一度重なり部分を離して、再び重なるように盛り付けるのは難しいですし、よくあるのが「あれ?どっちが上だったっけ?」です。 ひっくり返してホイ★の良いところは、 重なり部分をそのまま引き継げる点です。 そして、なによりも 短時間で作業が終わります。 ひっくり返してホイ★は、刺身だけではなく、いろんなパック商品に応用できます。もちろん「返し寿司」のような散らし寿司はそのままの盛り付けを皿で再現できます。サラダやお惣菜パックでも使えます。オードブルセットとして数種類の詰め合わせでパック売りされている場合も、そのパックよりも少し大きめの皿にひっくり返してホイ★と出せば、見栄えが良くなります。 刺身の場合、フタがプラスチックではなく...

初心者にとって道具は大事

何事も最初に使う道具は、ある程度ちゃんとしたものを使ったほうが良いというお話。 「弘法筆を選ばず」は、弘法大師のような達筆の人なら、どんな筆でもキレイに書けるという話であり、初心者にはそんな技量はない。ある程度、整った筆でないと、字はきれいに書けない。書けない筆でいくら練習しても、上手にならない。 その結果、「やってもダメだ」「自分には向いていない」と思いこみ練習しなくなる。 よく親が子に対して言う、「やらせても、すぐに投げ出す」のは、ちゃんとした筆を与えていないからかもしれない。 スポーツも芸事も、上達するにはある程度の道具が必要。「どうせ、すぐに辞めるから、テキトーな安物で良い」と買い与えた物が、上達しないというプラス否定だけではなく、例えば身体の成長を阻害したり、ケガの原因になったりというマイナス要因にもなる。 「どうせやってもダメだ」がクセになると、頑張ってみようという気持ちも失わえていくし、自尊感情も育たない。 これは勉強でも同じ。解説が秀逸なよい参考書や辞書があるだけで、やる気も成績もグンとあがる。僕も浪人時代に辞書を変えただけで、成績が急激に上がった経験がある。 そして、これは家事でも同じ。 例えば、よく切れる包丁は、切るのに無駄な力を必要とせず楽にキレイに切れる。用途に適した包丁は作業を簡単にしてくれる。よく切れない包丁で、ゴリゴリと押し切った切断面は荒れる。荒れた切断面からは旨味や栄養分が流れ出てしまう。結果、美味しくない。今は、調理家電が普及しつつあり、煮炊きは自動でやってもらえる。最後まで残った手作業は「切る」と「盛り付ける」になった。 なにも最高級の包丁でなくていい。専用包丁をたくさん揃える必要もない。ポイントは、メンテナンスしやすく、大きさや重さが手に馴染み、作業しやすく、ある程度汎用性のある包丁を選ぶことだ。 昔は包丁を手に持って感触を確認して買うことができたが、最近は包丁を買うのも確認ができず、ギャンブル感覚になってきた。高いから良いかと思ったら、まったく手に合わない使いにくい包丁だったりする。 いくつかの失敗購入は致し方ないと割り切るにしても、それでも初心者の道具は大事だ。最初の一歩を間違うと、その後が続かなくなる。かといって、慎重になりすぎる必要もない。慎重さと気楽さのいいあんばいを見つけて、トライして欲しい。 男性の育休取得が促進...

すべての国は途上国

(ここ数日、考えたことを徒然なるままに…) 発展途上国という言葉は、先進国と対比で使われる。これとは別に、僕は衰退途上国という対比も考えている。タイは東南アジアの中では、すでに高齢化が始まっているらしく、発展の勢いも落ちてきていると聞く。それでも、まだまだ発展の余地は残っていて、発展途上という言葉が当てはまるという印象だ。 日本も東京圏にはまだまだ人が集まってきている。発展途上な街のイメージだが、その反対に地方の衰退っぷりはものすごい勢いだ。シャッター商店街、限界集落、廃校、路線廃止などなど。マイナス要素に対して、「なんとかしないと」と踏ん張っているその地方の人や自治体職員もいるが、チャオプラヤー川のような大きく流れの早い川の流れのなか、上流に向かって手漕ぎボートで争っているようにも見える。 僕は、その大きな流れの背景に、高度経済成長期を知る、今の高齢者たちの「何もしない方が良い」「流れに乗っていればいいのだ」という空気を感じてならない。積極的に自分から変革を求めなくても、周囲の景気がよかったから、放っておいても賃金は上がったり、物質的にも豊かになった世代だ。もちろん戦後の欠乏時代を乗り越える努力(忍耐)はあったと思うが...。 自分からなにかを仕掛けずとも、景気の良い時代に引っ張り上げてもらえる潮流にのれば良かった時代(高度経済成長期)がこの日本にもあった。が、それはもう半世紀以上も前の過去の話だ。それにも関わらず、今でも「何もしない方が良い」「流れに乗っていればいい」は生きている。 それどころか、今は「何もしない」だけでなく、 為末大さんがいうような「なにかあったらどうするんだ?症候群」 にも陥っている。 この「なにかあったらどうする」は衰退途上国であるなら当然の成り行きだ。発展途上であれば、なにかあっても取り返せる。しかし、衰退途上であれば、なにかあったらもう取り返せない(気がする)。貧者は変化を遠ざけようとする。今あるわずかな財産を変化というリスクで失うくらいなら、少ないながらも確実に手元にある財産を守ろうとする。革命は、最貧者ではなく、新しい社会でも生き抜ける「持つ者」によって行われる。「持たざる者」は変化を求めない。衰退途上だと変化を求めず保守化するのは当然。 もともと「何もしない方が良い」という空気が支配的だったところに、さらに「なにかあったらどうする...

おやじの会、一区切り

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先週18日、おやじの会で校区内清掃をしました。娘が卒業した小学校のおやじの会の会長になって、何度目かの校区内清掃。小学校の卒業式前に通学路を掃除して、子ども達を送り出そうという主旨でやってますが、今年はあいにくの雨。10時スタートだというのに、9時の時点でまだジャカスカ降っている状態。おやじの会のメンバーからも「今日、やるんですか?」と連絡が来るぐらい。天気予報では10時には小雨になっているはずだったのが、やや遅れ気味。 校区内清掃で30人くらい集まった時もあったんだけど、今回はおやじの会メンバー5名のみの参加。PTAでも配信してもらったけど、雨で誰も参加なし。とはいえ、ある程度予想していたとおり。 そして、なぜか校区内の道路は、かなりキレイな状態で、あんまりゴミが落ちていない。踏切の前後にタバコの吸殻が大量に落ちていた以外は、目立った放置ゴミもない。予定時間内に終えて、小学校のゴミ集積場にチョコッと集まったゴミ袋。 誰もケガもなく、事故もなく、無事に終わってなにより。11時頃には雨もあがり「やっぱり、やってよかったね」という結論に。中止にしなくてよかった。 おやじの会のメンバーは小学校で解散。僕は、その後、校長室へお呼び出し。 " I have a bad feeling about this "  は、スター・ウォーズではおなじみのセリフだけど、だいたい校長室へお呼び出しなんて、子どもの頃から "bad" 以外ない。 なんとなく聞いてはいたけど、やっぱり!なお話。 来年度の 学校運営協議会 の理事長に指名された。学校運営協議会?という話が出た時に、あれこれ調べていたら、文科省のサイトにも説明が出ていた( これ )。コミュニティー・スクールという言葉も出てきて、なんとなく社会福祉の授業で出てきたコミュニティー・ソーシャルワークが垣間見える。 まだ僕は学校運営協議会?な部分が大いにあるけど、逆に、「こうあるべき」が固まってなく、先入観なく接することができるかもしれない。実際、始まってみると、「えらいこっちゃ」かもしれないけど、その時はその時で今後のネタと割り切って、やってみようと思ってます。 校内清掃の翌日は、おやじの会での集まりがあり、次期会長への引き継ぎも同時に。2019年から4年、ほとんどコロナ禍でなんにもできなかったの...